飛天 - MIHO MUSEUM

飛天ひてん

  • 平安時代(11世紀)
  • 11c
  • 木造(桧)漆箔
  • W-25

 平等院鳳凰堂阿弥陀如来の飛天光背に見られるごとく、仏師定朝以後、この形式の光背に見られる菩薩はすべて奏楽ないし供養の姿勢をとり、雲上に坐している。本像は雲に乗らず、飛行のポーズをとっていることから、これとは異なり、奈良朝以来の古い形式を伝えているものと推定される。大振りの目鼻立ちや大柄な体躯なども極めて古様であり、11世紀に遡る作と考えられる。

平安時代後期 11世紀
木造漆箔
幅(右肩-左足):25.0cm

仏師定朝によって作り出された飛天光背は,奈良時代の光背にならって,周縁部に飛天を配することからこう名づけられた。定朝作の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(1053)付属の光背でいえば,頂に大日如来像を置き,左右に六体ずつの菩薩が配される。菩薩はすべて奏楽ないし供養の姿勢をとり,雲上に坐している。それ以降のいわゆる定朝様の飛天光の菩薩たちも,数が減ったり,立像が加わるなどのことはあっても,乗雲という形は一貫して伝えられる。

しかるに本像は,まわりにあったはずの雲がなくなってはいるものの,雲の上に坐るのではなく,明らかに飛行のポーズである。定朝が手本とした奈良時代以前の光背では,このように飛行の姿の菩薩が一般的だったことを考えると,この像は飛天光背の最も古い形式を伝えているとも推定される。大振りの目鼻立ちや大柄の体躯などは極めて古様であり,11世紀にさかのぼる作とみられることから,飛天光背の成立に手がかりを与える一作ではある。

貼り付けられている背後の板は建築用材の転用であり,本像とは関係がない。(伊東)

定朝

定朝(?ー1057)

 平安時代を代表する仏師。生年は不明。康尚の子。仏像の躯幹部を複数の材で構成する寄木造(よせぎづくり)の完成者ともいわれ、その円満優雅な作風は宮廷や藤原氏の人々の賞賛するところとなり、特に彼が造った阿弥陀如来像は「弥陀の本様」として、後世の造仏の規範となった。天喜5年(1057)没。
 代表作は宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像。

主な業績

1020年(寛仁4)康尚とともに藤原道長発願の無量寿院(=後の法成寺阿弥陀堂)の九体阿弥陀像を造る。
1022年(治安2)法定寺造仏の功によって、仏師としては初めて法橋の位につく。
1026年(万寿3)後一条天皇の中宮威子のお産祈祷のための等身大の仏像(27体)を造る。
1036年(長元9)後一条天皇の仏事のための仏像3体を造る。
1040年(長久1)後朱雀天皇の念持仏として、一尺の銀製薬師像(木製の原型か)を造る。
1048年(永承3)興福寺の造仏の賞により、法眼にすすむ。
1053年(天喜1)京都宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像を造る。
1054年頃(天喜2)京都西院邦恒堂の阿弥陀如来像を造る。

阿弥陀如来坐像

飛天

飛天とは
 天人とは欲界、色界の天界天界に住んでいる者で、天衆ともいう。飛天は仏を讃歎し、天衣を翻しながら、楽を奏でたり、天華を散らしながら空中を舞う姿で現されることが多いが、自ら飛翔するのではなく、雲上で奏楽したり踊ったりしている姿にも表現される。

 

飛天光

飛天光(ひてんこう)

 阿弥陀如来の光明を象徴する、大きな舟形の光背(こうはい)の周囲に飛天を配したものをいう。平安時代を代表する仏師、定朝(?ー1057)が考案して以来、盛行しました。

Catalogue Entry

Late Heian period, 11th century
Wood with lacquer-applied gilding
Width (from right shoulder to left foot), 25.0cm

The Buddhist sculptor Jocho carved a nimbus decorated with flying celestials, and it resembled Nara period nimbuses in that flying celestials were placed around the edge of the nimbus. The nimbus attached to Jocho's carving of Amida Nyorai (Amitabha 1053) in the Phoenix Hall of Byodoin has Dainichi Nyorai (Mahavairocana)placed at the top of the nimbus, and six Bosatsu (Bodhisattvas) arranged to the right and left of this Dainichi image. All of these Bosatsu are seen either playing musical instruments or in a kuyo memorial type of pose sitting on top of clouds. These Bosatsu from the so-called Jocho style of flying celestial nimbus may be shown in fewer number, or standing instead of seated, but they are always shown riding on clouds.

This image is an example of those now-lost celestials who would have originally been seen flying without clouds between these Bosatsu. Jocho used pre-Nara period nimbuses as his models, and this kind of flying form of Bosatsu is thought to have been common during that period. Thus, this kind of flying celestial can be thought to convey the oldest form of flying celestial nimbus. The large mouth and eyes and the big body are extremely old in style, and as this celestial is thought to date back to the 11th century, this work helps our understanding of the establishment of the flying celestial nimbus form.
The figure has been attached to a piece of construction wood that has no relationship to the image itself. SI

解説(春の玉手箱)

 飛天はインドの発生とされ、キューピッドなどの西方の神々が有翼であるのに対し、東洋では天衣によって飛翔する形態をとる。平安時代に仏師定朝によって作り出された飛天光背は,奈良時代の光背にならって,周縁部に飛天を配する。平等院鳳凰堂阿弥陀如来像の光背では各々雲上に坐しており、それ以降のいわゆる定朝様の飛天光の菩薩たちにも乗雲という形は一貫して伝えられる。しかし本像は,明らかに飛行のポーズであり、定朝が手本とした奈良時代以前の光背では,このように飛行の姿の菩薩が一般的だったことを考えると,この像は飛天光背の最も古い形式を伝えているとも推定される。大振りの目鼻立ちや大柄の体躯などは極めて古様であり,一一世紀にさかのぼる作とみられることから,飛天光背の成立に手がかりを与える一作ではある。体の反りには天下り飛翔する散華の姿の感がある。貼り付けられている背後の板は建築用材の転用であり,本像とは関係がない。