伎楽面 迦楼羅ぎがくめんかるら

  • 奈良時代
  • 8c
  • 木造(桐)彩色
  • H-39.1
  • 所蔵
    東大寺伝来、原三渓(富太郎)旧蔵

奈良時代 8世紀
木造彩色
高:39.1cm 幅:21.2cm

伎楽は中国南朝の呉の国(222~280)に発するものと推定されており,飛鳥時代にわが国にもたらされてからは,伎楽という呼称のほか呉楽とも記された。演目はあまり多くなく,迦楼羅のほかに,獅子,呉公,崑侖などが知られているが,演じられたのは奈良時代までで,現在では行われていない。遺品としては,法隆寺,東大寺,正倉院などにまとまって伝来する。飛鳥時代のものはクス材が多く,奈良時代になるとキリ材または乾漆製が主流となる。以後の仮面に比べてかなり大型なのが特徴の一つである。

迦楼羅は鳥を神格化したもので,インド神話では毒蛇を食う霊鳥だったが,仏教に採り入れられて仏法守護の神の一つとなった。本面はその姿を表すもので,前に突き出たくちばしに玉を啄み,頭頂にとさか,下方に肉垂を表す。キリという材質からだけでなく柔らかい肉付けと鳥類の王者らしい風格をともに表すつくりは,奈良時代の作であることを示している。東大寺大仏殿の開眼会に使われたと推定される東大寺の同じ面に匹敵する古格がある。(伊東)

伎楽

伎楽

 呉楽(くれのがく)ともいう。推古20年(612)に百済人味摩之(みまし)が、呉国で学んだものを伝えたという。しかしこの場合の呉は唐を意味する。
 令制では雅楽寮に伎楽師1人を置いて、楽戸から集められた伎楽生に修得させたという。寺院の法会で行われ、法隆寺や、正倉院に、後頭部まで覆うおおぶりな面が残っている。
 9世紀には新たに舞楽が伝えられ、衰退した。

迦楼羅面ー調書ー

秀明文化財団所蔵  迦楼羅面  作品紹介

材質   桐材、一材製(頭頂に木芯あり)

形状  頭頂から額まで左右に揺らぐ鶏冠をつけ、さらに鼻のすぐ上まで、瘤のような盛り上がりが見られる。
    尖った嘴を持つ鳥相の面で、口をわずかに開けて珠をくわえる。小さな鼻に鼻孔を貫き、目穴は右目が拡大されているようにも見える。白目の外側に、もう一重の囲みがある。
    鼻の両脇から頬の下半分を、先が三つに分かれた肉垂れが覆い、口元の先端が、くるりと巻いている。耳は細長い獣耳で先は尖っており、耳朶に当たる部分にへこみがある。
    尚、獣耳の中央後ろ寄りの部分に紐孔が有り、耳の後ろ、右後頭部に連孔五つと半欠けの孔が一つ、左後頭部に連孔一つと半欠けの孔一つがある。連孔から連孔までぐるりと、面の縁に麻布が付着している。

着彩  全体に黒漆の下地を塗り、顔面は白緑である。朱彩が鶏冠と耳の上部、白目の外側、嘴の縁、顎、肉垂にあり、白目部は金彩である。目の周囲の朱彩部分に、まつげのような線が墨線で細かく引かれ、肉垂れの縁にも墨線を入れてある。
    但し、この黒漆下地の下に、白土下地があり、白土と黒漆の間に当初の彩色かと思われるものが残っていて、現在見えている彩色は後補である。
    裏面にはかつて黒漆が薄く塗ってあったようだが、いまは嘴の内部と面の周辺を除いて、ほとんど取れている。

法量  面長  39.8cm(鶏冠を含む)
    面幅  21.2cm
    面奥  27.3cm

保存状態 唇の先端、珠をくわえる部分は大分すり減っている。右耳の前に破れがある。
   右目の下に割れがある。後頭部の連孔が半欠けになっているものがあり、もっと先まで木が続いていたのがすり減ったか、または別材を矧いでいたのが取れた可能性もある。彩色は、白緑・金彩がかなり取れて黒漆下地が見えているが、朱彩はおおむね残っている。  

伝来  原三渓旧蔵 東大寺伝来との伝えがあって、集古十種の写本の内、法隆寺・東大
   寺の伎楽面、及び東大寺の舞楽面の肉筆本(寛政四年 住吉廣行画)が共に伝わっ   ているが、特に東大寺を示す銘文・書き付け等は見当たらない。

国分寺

国分寺

 天平13年(741)聖武天皇の発願により、国ごとに置かれた。僧寺と尼寺があり、前者を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺という。律令制と結びつき、鎮護国家、鎮災致福を説く仏教を、中央集権、民衆支配のための精神的な支柱とした。奈良の東大寺はこれらの国分寺を統べる、総国分寺として建立された。
 10世紀以後律令制の衰退とともに国家の保護を失い、中世には廃絶した。

紫紙金字金光明最勝王経巻第二

東大寺

東大寺(とうだいじ)

奈良市雑司町。華厳宗。天平17年(745)聖武天皇の発願により、「金光明経」の護国思想に則って日本各地に設置された国分寺の中心となる総国分寺として創建された。
本尊の留舎那仏(るしゃなぶつ)をおさめる大仏殿は天平勝宝3年(751)に完成。翌年の4月9日に大仏の開眼供養会をおこなった。

治承4年(1180)に平重衡(たいらのしげひら)の焼き討ちによっておおくの堂塔が炎上したが、重源が勧進となり、源頼朝等を檀越として復興。
永禄10年(1567)には三好三人衆、松永久秀の乱によって再び大仏殿が炎上、大仏の首も焼け落ちたが、大仏は山田道安のてによって旧状に復し、元禄5年(1692)に大仏殿も復興した。

正倉院をはじめ、三月堂、転害門などの創建以来の建物をはじめ、奈良、平安、鎌倉時代のあまたの文化財を有する、わが国の文化財の宝庫。世界文化遺産。

黒漆鼓胴 金銅香水杓

Catalogue Entry

Nara period, 8th century
Wood with polychrome
Height, 39.1cm; width, 21.2cm

Gigaku dance is thought to have originated in the Kingdom of Wu (A.D. 222-280) during China's Southern Dynasties and was brought to Japan during the Asuka period. The name Kuregaku is also recorded for this Gigaku theatrical form. There are not many roles in this theatrical form--in addition to Karura, there are lion, the Lord of Wu, and Konron--but this theatrical form was only performed until the Nara period and is not performed today. The remaining artifacts of this dance form have mainly been handed down at Horyuji, Todaiji, and the Shosoin. The majority of the Asuka period works are carved from kusu or camphor wood, and with the Nara period, it also became the fashion to create these masks from kiri (paulownia) or dry lacquer. The masks of this period and later were characterized by their particularly large scale.

Karura is a deified bird. In Indian mythology, the Karura was a sacred bird that ate the poisonous snake. When this deity was taken into Buddhism, it became one of the gods who guard the Buddhist faith. This mask is in the form of the Karura bird, and a jewel is grasped in its open beak, a topknot is on its head, and layers of flesh are hanging beneath its neck. This mask is carved from pawlownia, a wood that ably conveys the soft feel of the flesh and gives the work the air of this king of birds. The method of construction indicates that it was produced during the Nara period. This is an ancient form, with a similar example at Todaiji thought to have been used at the dedication ceremony of Todaiji's Daibutsu Hall. SI