猿投灰釉四耳壺さなげかいゆうしじこ

  • 愛知県・猿投窯
  • 平安時代
  • 12c
  • 灰釉陶製
  • H-22.8 D-22

 猿投窯の始まりは5世紀代の須恵器に遡る。8世紀末ごろから窯の中で意識的に灰釉がかかるようにして焼かれ、9世紀には色調をより効果的なものにするために耐火度の高い白色粘土を使用するようになった。この壺は耳が4つついた四耳壺と呼ばれるもので、12世紀末期のものである。口づくりが玉縁に変わる前の、瀬戸でも最古の時期にあたるものと考えられる。

猿投窯(さなげ)

 名古屋市東部の丘陵地帯に分布する須恵器と灰釉陶器を生産したわが国最大の古窯跡群。猿投山西南麓に広がるところからその名があります。その数は500基にのぼる古代窯に中世の山茶碗の窯も含めると1000基以上になります。特に灰釉陶器の窯が目立ち、緑釉陶器の窯も含む多種多様の製品を生産しました。

猿投灰釉手付壺