仏立像 - MIHO MUSEUM

仏立像ぶつりゅうぞう

  • パキスタン ガンダーラ
  • 2世紀後半期
  • 片石
  • H-250

この2.5m程の如来立像は他にペシャワール博物館に一体見られるのみである。肉髷はおそらくイラン民族の首長の髪型に由来し、初期の仏像はそれを括った紐を表現している。今は失われている右掌は正面に向けられ施無畏印を示していたと思われ、元来イラン系の神像・王侯像に見られる神明に対する誓約とそれに答える神明の仕草としての意味合いがあった。衣をつかむ左手は、グレコ・ロマン由来の仕草であろう。本来仏教では如来はその姿の想像も表現も不可能であり、釈迦如来の足型や冠などで表現されていたが、この時代ガンダーラではより身近で人間的な釈迦如来の側面を表現しようとしたのであろうか、一つの熱い信仰心の現われがそこに感じられる。

仏教の発生

仏教の発生
仏教は紀元前5世紀にインドで生まれました。仏教の始祖である釈迦は、シャカ族の王子で、ゴーダマ・シッダルタといいました。宮殿のなかでなに不自由なく成長したゴータマは、あるとき外出して生、老、病、死の苦しみを知り、この逃れがたい苦しみからの解脱を求めて29歳のときに出家しました。
以後ウッダーラカ・アールーニやアッラーラ・カーラーマ仙人のもとで修行したのち、さらなる境地をもとめて6年間の苦行を行います。しかし悟りを得ず、苦行を棄てたゴータマはネーランジャラー河のほとり、菩提樹下における瞑想の果てに悟りを開きました。
その後サールナートの鹿野苑において初めての説法を行い、およそ40年間の布教の末、クシナガラで入滅しました。

大乗仏教

大乗仏教

 大乗仏教が盛んになる以前の部派仏教は経、律、論(これを三蔵という)からなっていました。経とは釈迦のおしえを集めたもの、律とは仏教教団の日常生活の規則、論とは経典にたいする説明、注釈、研究などを指していますが、かれらの中には次第に煩瑣な哲学的な議論に熱中する者が生まれ、学問化するとともに、自分だけの完成や救済を目的とする傾向が見られるようになりました。そこで、釈迦が説いた本来の精神にかえろうとする動きがおこり、自らを多くの人々を迷いの此岸から悟りの彼岸へと渡す大きな乗り物にたとえ、利他の精神を掲げて「大乗」と呼びました。「小乗」とはかれらが部派仏教の人々を、軽蔑の意を込めて呼んだ名称です。

 このため仏陀観にも違いがうまれ、小乗仏教では仏陀というのは歴史上の釈迦のみを指し、仏弟子達はいかに修行しても阿羅漢の境地までしか到達し得ないと考えるのに対し、大乗仏教ではすべての人が仏陀になると説いています。菩薩についての考え方も変化しました。菩薩とはさとりを求めて修行する人をいい、原始仏教、部派仏教の時代には修行中の釈迦をさしましたが、大乗仏教の時代になると、自らはさとりを求め、他人を救済し、利他の行をして衆生を利益する者をいうようになりました。

このうつ向いた大像について

総高250センチメートル。ガンダーラ美術の作り上げた最も大きな仏像と言われる、パキスタン-ペシャワール博物館の仏陀立像(頭光の上まで263センチメートル)に比肩するものと言えるでしょう。

ガンダーラは歴史的に民族、王朝の激しく交替してきた地域です。千七百年以上遡る古代、彼の地がクシャーン朝インドとササン朝ペルシャとの抗争の狭間で小国に引き裂かれて行った頃、この大きな仏像はそれだけ多くの人々の救いを祈願して造られたものではないかと思わずにはいられません。

うつ向いたそのまなざしの懐に入る時、何とも言えぬ優しく静謐な雰囲気に包まれるのを覚えます。

このうつ向いていると言うことはこの像が本来高い位置に祀られていた事の証拠であると思われます。礼拝者はこの像の下からその慈愛に満ちたお顔を拝したことでしょう。そのお顔、そのまなざしは他ならぬ礼拝者に注がれています。

同時代の寺院内部を装飾した小さな仏伝(釈迦の生涯の物語)浮彫には、民衆の中で遊行する釈迦が描かれています。そのお顔、まなざしは拝跪するものの顔、まなざしに合わせうつ向けられています。その体勢そのものが拝跪するものに注がれているのです。

大きさこそ違え、これはこの大像とそれを実際に拝する者との関係に他なりませんその許に拝跪する者は全て喜び迎えられるそんな大変慈愛に満ちた聖堂の主であられたのでしょうか。

釈迦がさとりをひらかれ仏陀となられた時、これは他人に話しても誰もわかってくれる人はいないだろう、このまま黙っていようと思われました。

世界の主-梵天はこのままでは世界が滅びると嘆き、釈迦如来の前に現われ跪き拝してこの真理を人々に説くよう三度懇願しました。

そこで釈迦は生きとし生ける者への深い哀れみの心から説法に立ち上がられたのです。この像の左足は僅かに前方に出ています。

直立不動ではなく正に人々を救うために歩むその姿を彷彿とさせるものがあります。この救われるべき拝跪する者に対し全身を注ぎ込む釈迦如来、そのお顔は大変慈しみに満ちています。

この仏像の姿について

この仏像の姿は直立して右手に施無畏印を現し左手は衣の端をつかむ姿であったと思われ、これは仏陀の姿を表現した紀元二世紀頃のインド-クシャン朝のカニシュカコインに見られるものに相当する姿であると言うことが出来ます。

つまりこれは仏像出現以来の伝統的な姿であり、爾来数百年にわたり他の地域にも伝わり様々な形に変容して表現されました。

因みに、このカニシュカコインには多くの民族、国々にわたる神々の姿が描かれています。当時のイラン系クシャン朝は、南北に広がった領土を持ち、シルクロードの交易を支配し栄えました。そこで使用されたコインにこの交易を通過する多くの民族のあがめる者の姿が表現されたのです。

一説に、この多くの神々の姿の中に仏陀の姿が加わった事が、釈迦如来の姿が出現した最初の例であるという見方もあります。

右手の仕草について

同時代の仏伝の浮彫りの中に表現されている釈迦の装いは、出家に際し猟師と衣服を交換して後は所謂「三衣」のままで目立った変化は無いようですが、その仕草には様々なものが見られます。

しかし、この像の様に礼拝の対象であったと思われる単独で大型の釈迦如来立像はごく限られた姿しか知られていません。

日本の仏像の多くが伝世してきたのとは対照的に、ガンダーラの仏像はその寺院ともども長い年月土中に埋もれていたものであり、近代になって発掘された時、その大多数は欠損がありました。

腕のような細く脆い部分は殆ど失われており、本来の姿は想像するしか無いものが多いのですが、幸い欠損を免れた他の像の傾向から考える事は出来ます。

先ずその右手の仕草に関しては、殆どの場合掌(てのひら)を肘の高さで前方に向けるいわゆる「施無畏印」の形を取っています。

他には、大変稀ですが、鉢を右手に持ち稍前に差し伸べた「托鉢」の形があります。この場合腕はかなりゆるやかな曲がりを見せ、「外套」はこのように上までは持ち上がっていません。この像の右腕は「外套」の持ち上がり方と腕の破断面から判断して、肘から先が殆ど直角に曲げらていたと想像されます。

これらのことから、この像の右腕の仕草は「施無畏印」形であった可能性が最も高いと思われます。

左手の仕草について

左手は幸い欠損はありませんが、この衣の端をつかむ仕草もかなりの仏像に見られるものです。これに関しては仏教に於ての特別な意味合いは伝わっていないようであり、呼び名も見つかりません。

これはギリシャを始め無縫製の布を体に纏う形式の衣服を使っていた文化には往々見られる仕草であって、衣の'くずれ’を防ぐ、または歩きやすいように「外套」を少し持ち上げる程度の意味合いが考えられます。

またその親指と人さし指の間には、釈迦如来の特徴として考えられた水掻きのような表現が見られます。

歴史的背景について

ガンダーラは今のパキスタンとアフガニスタンにまたがる地域にあたります。中央アジアのごく近くで、西方や東方の国々との行き来が古くからありました。

紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャの属州となりました。

前4世紀にはアレクサンダー大王に征服されました。

前3世紀にはインドのマウルヤ王朝とギリシャ系の大守率いるバクトリア王国に分割されました。

前2世紀には遊牧系のサカ族とイラン系のパルティア族出身の王によって分割支配されました。

そして紀元1世紀にインド-クシャーン王朝が興り、ガンダーラは最盛期を迎えました。

Catalogue Entry

Very few of the numerous extant examples of Gandharan images of the standing Buddha are this large.*1 Areas of loss are: the head nimbus, the lower end of the left ear lobe, the tip of the nose, the right forearm and portion of robe hanging from the right arm, the tip of the left index finger, and the tips of the first through third toes of the left foot. No repairs and joins, if present, can be detected by the naked eye. The head is relatively small in comparison with the full, stately body. Long, wavy hair is arrang-ed symmetrically to the right and left from a point in the center of the forehead, and a cord binds the hair into a knot on the top of the head. The ushnisha, described in texts as a fleshy protuberance on the top of the head that is one of the Buddha's special attributes, was handled by the Gandharan sculptors as a topknot of hair. This is either an example of a trend toward logical expression and an avoidance of the unrealistic in sculptures of the region or a motif developed from a Greek hairstyle (krobylos) in which the hair was knotted on the top of the head. A small circular projection appears on the forehead between the eyebrows, the urna, an auspicious mark. Represented as a whorl of hair, it is believed by some to derive from the West Asian practice of placing a mark of makeup between the eyebrows. Some Gandharan Buddha sculptures have a round hole carved in this spot, probably for the inlay of a white or clear stone such as rock crystal. The Buddha's eyes are partially closed and gaze downward. The thin lips are slightly rounded and there is a luxuriant mustache. The backs of both shoulders of the figure have traces that suggest the attachment of a nimbus like that on the seated Buddha figure in the next entry (cat. no. 73).

The Buddha has wide shoulders, and stands in a relaxed posture, with the left hip slightly raised. A voluminous cloth is worn over both shoulders and is folded and layered to form a neck band. The drapery falls in alternating wide and narrow ridges, which describe a leftward curve on the upper part of the body and a symmetrical pattern below the waist. The swell of the chest, hips, and left knee can be seen through the thick cloth, but the structure of the body from the torso to the feet is not clear. The Buddha's left arm hangs down with the elbow barely bent, and the hand grasps a hem of the robe. The right arm is bent at the elbow, and the lost hand was most likely raised in the gesture that dispels fear in the hearts of the faithful, the abhaya mudra, characterized by the palm turned forward with all five fingers raised. The feet are relatively far apart, and the toes, with the exception of the great toe, are strongly expressed, showing the figure's firm stance. Such details show the care with which the nuances of physique and musculature were carved. Although the figure has a powerful, impressive appearance from face-on, side views show that the area from chest to knee is flat and comparatively meagerly fleshed. Anatomical infelicities and the relative lack of dimensionality are not limited to this example, but rather are characteristic of Gandharan sculpture in general. Indeed, this image can be considered a typical example of the standing Buddha from Gandhara type. The strict formalization of the hair and pleats and the relatively quiet expression on the Buddha's face suggest that this work was created somewhat after the reign of King Kanishka, whose reign marks the height of Gandharan sculpture. TK


1 It is one of the masterpieces of Gandharan provenance, and parallels, in size, the well-known standing Buddha (hight: 264cm) from Sahri-Bahlol in Peshawar Museum; See Ingholt 1957, fig. 210.