群馬図屏風(海北友松筆)ぐんばずびょうぶ(かいほうゆうしょう)

  • 桃山時代
  • 17c
  • 六曲屏風一双、紙本墨画
  • H-152.9 W-355.6

桃山時代 17世紀
紙本墨画
(各)縦:152.9cm 横:355.6cm

海北友松(1533~1615)は,浅井家の重臣,海北綱親の五男として生まれ,東福寺に喝食として入っていたため,浅井家の滅亡の際に命を永らえる。友松が本格的に画家としての道を歩み始めるのは割合に遅くなってからだが,狩野永徳亡きあとの画壇に雄渾な画風を展開して,一世を風靡した。その代表的作例が建仁寺本坊大方丈の大障壁画群である。
本図の馬の特徴ある描き方は,建仁寺本坊画の「竹林七賢図」のいわゆる袋人物のそれとの類縁関係を強く示唆するものと言わなければならない。
友松は40歳代で還俗したのちは,絵を学ぶかたわら武道に励んで家門の再興を志したようであるが,馬体を力強い省筆で描く本図も,そのような武道の修業と無縁とは言えないかもしれない。 (狩野)

海北友松

海北友松(かいほうゆうしょう)

天文2年(1533)ー元和1年(1655)
 桃山時代の画家。海北派の祖。近江浅井家の重臣であった海北善右衛門尉綱親の子。幼少時に出家して、東福寺で修禅。狩野派を学ぶ。海北家は、天正1年(1573)の織田信長による浅井家攻略とともに滅亡。還俗して武門再興をめざすが、文禄2年(1593)施薬院全宗の茶会で画の才能を秀吉に認められ、画業に専念するようになったと推定されている。
 このような波乱に富んだ経歴を反映して、遺作も60歳前後からのものが多い。

主要な作品に慶長4年(1599)に再建された建仁寺方丈に描かれた琴棋書画図、竹林の七賢図などがある。

Catalogue Entry

by Kaiho Yusho
Momoyama period, 17th century
Pair of 6-panel screens, ink on paper
Height, 152.9cm; width, 355.6cm (each)

Kaiho Yusho (1533-1615) was born the 5th son of a retainer of the Asai family, and as he entered Tofukuji as a page at an early age, his life was spared when the Asai family was ruined. Yusho began his actual painting career relatively late in life, but then went on to develop a bold painting style, dominating his generation among the Kyoto painting circles after the death of Kano Eitoku. The best representation of this style can be found in his large fusuma painting group for the Abbot's Quarters at Ken'ninji.

The painting style used in the present work strongly recalls the so-called "bag-shaped" figures found in the Seven Sages of the Bamboo Grove fusuma images at Ken'ninji.
Yusho returned to secular life in his forties, and then studied the martial arts, along with painting, as part of his desire to re-establish the fortunes of his family. The strong, abbreviated strokes seen in the depictions of the horses in these screens seem somehow related to Yusho's martial art pursuits. HK

解説(春の玉手箱)

 海北友松(一五三三~一六一五)は,浅井家の重臣,海北綱親の五男として生まれ,東福寺に喝食として入っていたため,浅井家の滅亡の際に命を永らえる。狩野永徳亡きあとの画壇に雄渾な画風を展開して,一世を風靡した。その代表的作例が建仁寺本坊大方丈の大障壁画群である。本図の馬の描き方は,建仁寺本坊画の「竹林七賢図」のいわゆる袋人物と類似しており、袋馬とも呼ぶべきであるが、馬体を力強い省筆で描く一方、輪郭を引かず墨の濃淡のみで描かれた馬を違和感なく配置する技量はさすがである。友松は四〇歳代で還俗したのちは,絵を学ぶかたわら武道に励んで家門の再興を志したようであるが,勇躍する馬の鬣や老松の枝の厳しさには、武芸で培われた裂帛の気合が漂っている。