麗花集断簡(香紙切)(藤原公任筆)れいかしゅうだんかん(こうしぎれ)(ふじわらのきんとう)

  • 平安時代
  • 11c
  • 紙本墨書
  • H-21.1 W-12.5

縦 21.2cm
横 12.5cm
平安時代後期(12世紀)

 私歌集『麗花集』の断簡。元は粘葉装(でっちょうそう)の冊子本。「香紙切」の名は、料紙に丁字(ちょうじ)で染めた、いわゆる香紙を用いていることに由来する。
 『麗花集』については、完本が伝来せず、寛弘年間(1004~11)の成立という以外、撰者など詳しいことはわからない。伝小野道風筆「八幡切」としてもその一部が残っており、諸家に分蔵される「香紙切」「八幡切」の断簡より、もともとは春、夏、秋、冬の四季に恋、雑の二部を加え、合わせて計十巻からなっていたと考えられる。
 筆者は三十六歌仙の一人に数えられる小大君(こおおいきみ)(生没年不詳)と伝えるが確証はない。また、藤原公任(きんとう)との説もあるが筆跡を異にする。
 筆力に富んだその連綿体の多いその筆跡から推定して、制作時期は十二世紀前半を下ることはないであろう。

 私歌集「麗花集」の断簡で、香紙切の名は、料紙に丁字で染めた、いわゆる香紙を用いていることに由来する。筆者は三十六歌仙の一人に数えられる小大君と伝え、また、藤原公任との説もある。筆力に富んだその連綿体の多いその筆跡から推定して、制作時期は十二世紀前半を下ることはないであろう。天に舞う鳥と可憐な花が配された花鳥文の裂地を使った表装の美しさは、平安時代の流れるように優美な書と見事にマッチしている。

和歌

平安時代から鎌倉時代初期にかけての和歌などのかなの書は古筆(こひつ)と呼ばれます。本来は古人の筆跡を意味する言葉でしたが、いつの頃からかそう呼ばれるようになりました。王朝文化の精華ともいうべき古筆は、茶席の一幅として、国文学の文献として、そして学書の規範として、非常に価値の高いものといえます。

文保百首断簡(伝亀山天皇筆) 元暦校本万葉集 天治本万葉集巻第十断簡(仁和寺切) 続古今和歌集断簡(六帖切)(伝藤原行成筆) 詠草(藤原定家筆) 五月雨 春日懐紙(中臣祐方筆) 桂本万葉集巻第四断簡(栂尾切) 新古今和歌集断簡(伏見天皇筆)

読み下し

      よりのふちのはなをさしこし
      てはへるに
         よしのふ
うしろめた すゑのまつやま いかならむ まか
きのしまを こゆるふちなみ
      四月にとう宮のうせたまへり
      けるに 御四十九日はてて

解説(春の玉手箱)

 丁子を漉き込んで芳香を発する香紙に書かれたこの書は、古来小大君の筆とされてきたが、作者についての確実な記録はない。現在香紙切は複数の筆者の手になると考えられ、これはその内でも最も多く残っている書風で、奔放かつ繊細な線が美しい。
 麗花集は一一世紀の後拾遺和歌集の序に「うるわしき花の集といひ、…(中略)…誰がしわざとも知らず、また歌のいでどころもつまびらかならず…しかれば、これらの集にのせたる歌は、必ずしも去らず」とあり、当時から選者はわからないながらも、勅撰集の素材とされた著名な歌集であったことが窺われるが、現在は散逸してしまっている。
 この歌は三十六歌仙の一人・大中臣能宣のもので、彼は円融、花山両帝の時代に歌集を献上したとの記録がある。三十六人集本のこの歌の詞書きには、「なしつぼにて、おほやけごとつかまつるとて、あるないしのつぼねより、ふぢのはなにものをむすびつけて、きりかけのはざまよりさしこしたるに」とあり、宮廷で衝立の隙間から差し入れられた藤をみて詠まれたことがわかる。

読み下し

よりふちの はなをさしこし
てはへるに
   よしのふ
うしろめた すゑのまつやま いかならむ まか
きのしまを こゆるふちなみ
 四月にとう宮のうせたまへり
 けるに 御四十九日はてて

Catalogue Entry

The writing on incense wrappers with subtle fragrance was traditionally said to be that of Ko‐Ogimi, but there are no records to confirm the writer's identity. Today the extant fragments of incense wrappers are thought to have been written by a number of different calligraphers and the Miho fragment is like the majority of these fragments in that its writing style consists of wildly extravagant, but delicate lines.

The anthology was mentioned in the preface to an 11th century poetry anthology and that preface states that the editor of the Go‐shui Wakashu anthology was unknown as early as the 11th century. But this prologue remakrs that it is an elegant collection of poems which should be remembered. It seems that this anthology was an imperially selected collection of famous poems, but today it is scattered in several fragments.

This poem was written by Daichunagon Yoshinobu, one of the so‐called Thirty‐six Famous Poets. This poet is known for compiling his own poetic offerings during the reigns of Emperors En'yu and Kazan. This poem is described in the anthologies of the thirty‐six poets and speaks of glimpsing the wisteria blossoms stuck through the edges of the palace blinds.