切子脚付ガラス杯

  • 江戸時代後期
  • 19c
167切子脚付ガラス杯

一点
江戸時代後期 文化・文政期 一八〇四-三〇年
高九・六 口径四・七 底三・五×三・五
MIHO MUSEUM蔵

桐製の収納箱の挿し蓋に「ギヤマンこつふ 二」の墨書があり、箱から見てもとは一対であったことがわかる。棒状工具の往復研磨による手彫り切子。素地は鉄分を消色した和製ぎやまんの無色だが、マンガン(紫呉須)の添加によって光の吸収量が増し、やや黒味を帯びている。ボウル部分が、少し傾いており、素地と成形の未熟さを、それに対して切子は入念であるという和製ぎやまんの特徴を示している。類似のカットパターンをもつ切子脚付杯が知られ(高一〇・四 口径四・七センチ、瓶泥舎蔵)、その杯の収納箱は、天保十四年(一八四三)十月の年記をもっている。さらに光格天皇の上臈で仁孝天皇の母堂であった雲遊院の遺品であったことが箱書によってわかる。その杯も比重値三・一と小さく、本器と共通する。瓶泥舎本、MIHO MUSEUM本、両器とも京切子である可能性を想定させる。箱裏に「上京第八区元ノ通町」とあり、明治前期まで旧蔵は京都の人であったことがわかる。