板ガラス

  • First half of the 19 B.C.
187板ガラス

一九世紀前半期
南ネーデルラント周辺か
無色板ガラス 七三枚 縦二四-四四 横三六-六一
厚〇・一-〇・三
色板ガラス 七枚 縦四〇・六-四〇・七 横二八・七-三〇・五
厚〇・一-〇・二
代表的作例を選択して展示
MIHO MUSEUM蔵

滋賀県近江八幡の豪商であった梅村邸で使われていた板ガラスで、無色、紫、真紅、藍色、黄色が残っている。この梅村邸は享和三年(一八〇三)から文化六年(一八〇九)にかけて建てられた民家で、座敷、次間、仏間、茶室、廊下、風呂、正門、玄関、便所の窓には無色の板ガラス、手前の庭と奥庭を仕切る小柴垣には色板ガラスが使われていた。
これらの板ガラスが、建築当初から使われていたかどうか確証はないが、この家が数十万両もの大名貸しをする近江商人のものであり、襖絵を円山応挙や谷文晁に依頼した、贅を凝らした邸宅であったのを考え合わせれば、早い時期から使われていた可能性が想定できる。
板ガラスの厚さは二ミリ前後で、一枚のガラスにも厚い部分と薄い部分が見られ不均一で、端の方にゆがみを生じたものもある。長く大きな気泡が含まれているが、すべて一定方向に伸びており、円筒吹きの特徴を示す。真紅の板ガラスは無色ガラスの両面に薄く赤ガラスを焼き付け、赤の発色を鮮やかにしている。図版176の切子文房具一式に含まれる、硯屏の下部に使われた赤い板ガラスも焼き付けと思われるが、こうした色板ガラスが江戸時代の日本にもたらされ、高級な文具や装飾品に加工されたことを推測させる。赤いガラスは特に貴重であったと思われる。この真紅は銅で着色させている。銅赤の発色は濃く、焼き付けにしないと、黒っぽくなってしまうからであろう。他の色板ガラスは、ガラス生地に着色している。