滋賀県愛知郡愛東町にある聖徳太子創建と伝える古刹、釈迦山百済寺の五重塔跡の心礎から昭和二六年(一九五一)に発掘された小壼である。口づくりはわずかに外反する二重口で、粘土紐巻き上げ成形であるが器形は左右非対称のいびつな形で、肩の張っている側となで肩となっている側がある。肩部には檜垣文が巡らされているが、上下の横線や×印の斜線の筆致は雑である。成形時の篦跡の痕も見られるが、全体に稚拙な造りとなっている。当初は、たっぷりと降りかかった灰が熔けて鮮緑色の豪快な釉流れをなしていた壼であったろうと想像されるが、土中に長くあったせいで釉はほとんど剥落し、白くカセてしまっている。底部には出下駄印がある。檜垣文の上部には「N」「-」「V」など数種の刻印が刻まれている。壼中にはガラス粒が入れられており、舎利容器として埋められたものと思われる。
 五重塔の心礎跡から発掘されたこの壼は従来、塔が鎌倉時代の建立といわれることから年代の比定できる基準作例とされてきた。しかし、文献によれば百済寺は四回火災に遭っており、そのうちの明応七年(一四九八)と文亀三年(一五〇三)の二度、塔は焼失していること、また、塔跡の発掘調査では壼は上層の焼土層より出土していることなどから、この壼は明応七年(一四九八)から文亀三年(一五〇三)の間に建立された五重塔の心礎跡から発掘されたと考えるのが妥当であるという報告がなされている(「中世の信楽―その実像と編年を探る」滋賀県立近江風土記の丘資料館 平成元年/一九八九)。
 箱内には昭和二六年の発掘記録の文書が収められている。おそらく今回初見であり、当時の様子が克明に記されている。

関連美術品
10.信楽桧垣文小壺(百済寺)

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