塔跡から
    壼の出現 昭和貳拾六年
     佛舎利壼出づ
釋迦山百濟寺開帳を昭和貳拾六年四月十二日より四月拾八日まで
一週間相営む計画の基に昭和貳拾五年末漸く「百濟寺案内」
を作り貳拾六年始、八寸角桧材長さ一丈五尺に「聖徳太子御尊
創當時之五重塔跡」の文字を、坂本の書家板倉宗悦氏の
揮毫で(三月十日夕陽沈む刻)成り、三月拾参日(大工川上亀吉)
藤澤外次郎、藤澤喜藏、川瀬利一郎、山本佐太郎その五重
塔跡へその標柱を建てやうと思つて、礎石西面四個、南面三個、北面
三個を基準にして其の中央を掘る 地中面より推定約一尺五寸
掘ると平面の石ありそれを外次郎氏が除くとそれは壼の蓋で
あつて壼の中が見えた,中は水がたまり土が壼の中に約半分積る、周り
を大切に土を除いて壼を地上に出すと幾つかに割れてある 形をこわ
さず佐太郎は両手で恭しく捧げて静々と山を下る 本坊に保存し
翌拾四日法印様(濱中光哲)と私(山本佐太郎)二人、法印様は
壼に水をかけて土を除かれ、私は壼中の土を少しづゝ洗面器に入れ
て水を注いで濁り水を流し、又水を注いでは濁り水を流してたへず注視
してゐると ルリ色の(大きさ御飯粒位)鑛物が現れ残る、法印様は
それを清洗いして三寶に載せる。又壼中の土少量を洗面器に
入れ水を注ぎ……繰返し・・して得たものは
  1、瑠璃色の御飯粒大 数個
  2、ガラスか黄寶石か水晶かと思はる  御飯粒大 拾数個
  3、純金ゴマ粒大 壱個
 右合計貳拾個
三月十七日滋賀縣廳美術館宇野技師(考古學者)釋迦山の
ミロク菩薩を返へしに来訪され、発掘物を御覧、宇野師は
本日は近頃にない大収穫追つて後程學界に發表すると話さ
れ冩眞に、壼、壼の台石、壼の蓋石、計参点撮影さる
  1、壼は信楽焼初代焼、鎌倉時代初期のもの
  2、壼の中の貳拾個のものは荘厳具といって信仰の対象物
    だと
  3、鎌倉時代と断定さる  土中からの発掘物は近江国では珍し
    い石山寺に此時代のものが掘り出された
と宇野技師は補足された
昭和貳拾六年四月 釋迦山信徒惣代の一員
   山本佐太郎認む
 (箱内に収められている発掘記録文書より)

関連美術品
10.信楽桧垣文小壺(百済寺)

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